ともひろのブログ

日々の気づき、学び、変化、こころとからだ。

自分史その1 初めての転校

なんだかひょんな思いつきで

これまでを振り返りたくなったので、

このブログはしばらく自分史シリーズで

いきます。

 

自分史その1.初めての転校

 

 

 

 

小学校四年になるとき、

 

父親の仕事の関係で初めて転校した。

 

それまでの小学校では

もちろん仲の良い友達も二、三人いたし

 

何より昼休みには

みんなでドッジボールをして

遊ぶのが好きだった。

ぼくは割と得意なほうで

自分が活躍できると感じれる場所だった。

 

離れたくなくて父親を恨んだりもした、

と思う。

 

でも父親から面と向かって転校の話をされるわけでもなく、

母親からの説明に納得出来ずとも

 

転校するしかなかった。

 

転校前にはクラスでお別れ会みたいなのも

してもらったっけ。

 

その小学校は正門を抜けるとすぐ目の前に

卒業生たちがいれるけっこう大きな

タイムカプセルがあって

 

自分はそれに何もいれられないのか

 

とかも思ってたっけ。

 

 

 

転校してからというもの、

子供の僕は

転校先の人間とは誰とも仲良くするものか!

と思って

 

田舎町の、

誰もが気持ちよく声をかけてくれるのに

ひたすら無視をしまくってたっけ。

 

そんなこんなで、

転校先での最初の夏休みは

特に誰と遊ぶわけでもなく、

ダラダラアイスとか食ってたら

夏休みだけで9キロ太って、

休み明け僕をみてびびった

保健室のおばちゃんから

毎朝校庭のランニングを命じられたのでした。

 

保健室のおばちゃんじゃなくて

お姉さんだったらもっと真面目に

走ったのかもしれない。。

 

 

それはいいとして、

 

いつまでもみんなを無視もできなくもなり

というか、そろそろ転校先にもなじみたくなり

それなりに交流も増えてくのでした。

 

 

 

都合のよいもので

段々と転校先の仲間に馴染んでいくと

転校前の友達とは疎遠になっていった。

 

疎遠というより、

向こうの友達がくれる手紙に

僕が返事を出さなくなっていったから。

 

どうして?

ときかれもしたし、

いま自分でも思うが

その理由はよくわからない。

 

 

 

書いていて気づいたけど

昔ながらたくさんの人と交流するよりは

少数の近しい人たちとだけ

仲を深めるのが

好きなのかもしれない。

 

人間関係の量としては

キャパシティめちゃ低いんだ、きっと  笑

 

 

 

いまでもそう。

 

少数か、一対一で話す方が好き。

 

 

たくさん人がいると、

空気になるの得意。

 

 

 

次回

2回目の転校、と部活の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに

 

大人になって

父にこの時の転校の話を

聞いたことがある。

 

てっきり、おまえには苦労をかけたとか

悪かったなとか

いわれるのを期待してたら

 

父親は嬉しそうに

 

ホントだったら

離島(奄美とか、徳之島とかね)に

転校させられるはずだったんだ。

 

でもそれを運良く鹿児島本土で

すますことが出来た。

 

おまえたちをそこまで行かせずに済んだんだ。

 

だからうちは運がすごく良かったんだぞ。

 

と。

 

 

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えっと、離島だろうが

じゃなかろうが

子供てきには、あんま変わらないよ?

てか、問題そこ?

 

と僕の頭に❓マーク満載だったけど

 

あまりにも嬉しそうに語る父を

見ていると、子供ながらに思っていた

恨みみたいなものも

バカらしくなってきて、

あぁ父さんもなんか大変だったのね、

てか、なんかありがとね。

 

と思えるようになったのでした。

 

 

親子関係というのは、

あの時あの場面きっと

親はこう思ってただろう

ていうのが

実際聞いてみると

全然違うことも多々ある。

 

 

実際きいてみると

それまで自分が思ってた

親へのマイナスな感情が

単なる誤解から生まれてることに

気づくこともしばしば。

 

 

 

どういうことかって?

 

説明するより

 

気になる方は

 

ドラマの「流星ワゴン」をご覧あれ。